北海道知床沖半島沖で起こった観光船「KAZUⅠ」の沈没事故は海を仕事場とする人たち全員に自分の仕事のことを再考させるものでした。
亡くなられた方、現在も行方不明の方がおられることはとても残念です。
沈没した観光船が120Mの海底にあり、通常の方法では状況確認や引き揚げ作業ができないことから話題になっているのが飽和潜水というダイビング方法です。
この記事はスキューバダイビングを仕事にして30年以上の私が、通常のスクーバダイビングと飽和潜水を比較しながら、そののリスク、危険性などを紹介する記事です。これを読めば、今回の飽和潜水が並々ならぬ任務であることがわかると思います。

二重事故にはならないで
まずはこの観光船引き揚げ作業の要点をまとめましょう

目次
観光船KAZUⅠをめぐる状況
- 2022/4/23、乗客・乗員26人を乗せた観光船「KAZU Ⅰ」(19トン)が沈没
- 2022/4/29、水深120Mに沈んでいる「KAZU Ⅰ」発見
- 2022/5/1、水中カメラによる調査の実施 ⇒ 後方にある客室のドアが開いているのが確認され、このドアから水中カメラを入れて船内を捜索できないか検討されたが、潮流が速く水中カメラの操縦が難しいほか、視界も数メートル程と悪いため、この日は船内の様子を確認することはできなかった(NHKニュースより)
- 2022/5/3、水中カメラによる捜査再開、船内の様子を確認、撮影。翌日に写真は公開されたが人影などは確認できなかった。
- 2022/5/10、海上保安庁が契約する「日本サルヴェージ」の作業台船「海進」とタグボート「早潮丸」が、福岡県の門司港より現場海域に向け出航
- 20225/17、「海進」が網走港に到着
- 2022/5/19、飽和潜水による調査開始、この時点で乗客26名のうち、14名が死亡、12名が行方不明
水中カメラによる捜索は日々続けられていましたが、行方不明者の発見には至っていませんでした。

潜って確認しないと何事も始まらない状況だね
水中に潜るにはいろんな方法があります。
それらと今回の飽和潜水を比較しながら、
今回なぜ飽和潜水をしなければならないのかをわかりやすくしたいと思います

潜水の種類
水中に潜るには3つのやり方があります。
- 素潜り(息こらえ潜水)
- スクーバダイビング
- 飽和潜水
①、【素潜り】 超浅場を潜れるお手軽な潜水
誰でもやったことのある簡単な潜水方法は素潜りです。
メリット | お手軽、マスクさえあれば誰でも可能、スノーケルもあればさらに便利 |
デメリット | 息こらえ時間の中でしか潜れない、平均して30秒ぐらい |

長いスノーケルを使ったら水中でも呼吸できるじゃん、なんでやらないの?
スノーケルの先は水面に出ているので、
1気圧の空気を吸っているんだけど………



この人は10Mで2気圧の場所にいるよね。
空気を吸い込むってことは自分の肺を膨らませるってことなんだけれど、
水圧に逆らって自分の肺を膨らませる力が人にはちょっとしかないのよ。
だから長いスノーケルを使っても、実際は水深1Mでも吸えないです
その問題を解決したのが、スクーバダイビングで使っているレギュレーターです。
②、スクーバダイビング 水深40Mまでを安全に潜れる

レギュレーターは空気の圧力を自動的に調整して周囲の水圧と同じ圧力の空気を吸った分だけ出してくれます。

? どーいうこと?
水深10Mにいれば、2気圧の空気が、
30Mにいれば4気圧の空気が吸えるように調整してくれてるんだ


すげー、優れもの
うん。レギュレーターの発明で水中で呼吸することは本当に快適で潜りやすくなったんだ

だけど、今回の水深120Mまでスクーバダイビングでは潜ることができないです。
まず一般的なスクーバダイビングの限界水深が40M。
そこに潜るには民間団体が発行する中級から上級の認定書が必要になります。
メリット | ダイビングショップに行けば誰でも講習を受けて潜ることができる |
デメリット | 潜水病の危険性あり ⇒ 講習中に予防方法を教えてもらえます |
※ 特別な訓練を受けた海上保安庁のプロダイバーは水深60Mまでの水中作業が可能と言われています
③、飽和潜水、水深60M以深を潜る
水深100Mを超えるような深場でも潜ることができる
メリット | 超深場で人の手による作業ができる、陸と連絡連携しながら作業が可能 |
デメリット | 潜水病の危険性あり、トラブルが起こった時すぐに水面に戻れない |

なんでスクーバダイビングで120Mまで行ったらダメなの?
ではスクーバダイビングを簡単に説明しよう。飽和潜水と比較できるように話すね

スクーバダイビングと飽和潜水を比較

スキューバダイビングって言い方もあるよね? なにか違うんですか?
英語の「SCUBA DIVING」をどう読むか? の話しなので、どちらも同じ意味になります

スクーバダイビングは誰にでもできるマリンスポーツですが、誰もが30Mを越える深場に行けるわけではありません。
水深10Mや20Mに潜ることに比べると、深い水深に潜る場合には大きく分けて2つのリスクが存在します。
リスクその①、窒素酔い
水深25M前後よりも深い場所に空気ボンベを背負って潜る場合は、「窒素酔い」にかかる恐れがあります。
窒素酔い
水中でお酒に酔ったような症状が出る生化学的障害のひとつ。
原因 ⇒ 高気圧下で呼吸を通して体内に入ってくる空気、その約80%の成分を成している窒素ガスが原因
代表的な症例は
- 急に視野が狭くなったように感じる
- めまい
- 平衡感覚が保てない
- 判断力の低下など
- 他にもいろいろあるが、日常とは違う感覚を水中で感じたらまず窒素酔いを疑うことが賢明
予防策 ⇒ 深く潜らない、水中で非日常感を感じたら浅場に戻る

深く潜ると、窒素が原因で「窒素酔い」になるってことね?
じゃあ、今回の水深120Mなんて潜ったら、ものすごい窒素酔いにかかっちゃうってこと?


窒素酔いを避けるために、深く潜る場合は、混合ガスを吸います。窒素の代わりにヘリウムを使います
ヘリウムに代えたら安全なの?

ヘリウムガスを吸うことで声質が高くなってしまったりしますが、窒素酔いにはならないし、重大な健康被害は避けられます。
呼吸ガスの成分を窒素からヘリウムに代えることで窒素酔いを解決!!
※ 水深180-200Mを越える飽和潜水ではヘリウムが高圧神経症候群(HPNS)を引き起こす率が高まることも知られています
水深120Mに潜るのにクリアすべき問題、残りのひとつ。
リスクその②、減圧症
まず減圧症を簡単に………、ややこしいことは置いといて説明しましょう。
減圧症
関節が痛くなったりする高気圧障害のひとつ。俗にいう潜水病は減圧症のこと
原因 ⇒ ダイビングしていて、急激なスピードで浮上してしまうと血管の中に泡が発生してしまって、なることが多い
- 皮膚のかゆみ、発疹
- 膝、肘関節の痛み
- 筋肉の張り
- 疲労
予防 ⇒ 潜水深度と潜水限界時間の決められた数値を守る。ゆっくり浮上すること。水面に戻る前に水深5Mで3分ほど停止する

浮上のスピードが速いと、肘や膝の関節が痛くなっちゃうってこと?
まぁーすごく簡単に言うと、そーいうことだね

ずっーと潜り続けていれば減圧症は起こらないです。

潜り続けていれば??
ずっと海の中にいて水面に戻ってこなければ
って意味です。
でも、タンクの空気がなくなるんで戻ってこなくっちゃ

高圧の水中環境から陸上の1気圧の場所に戻る時の圧力の変化で、呼吸を通して体の中に溶け込ませていた気体のうち、主に窒素が血管の中で泡になります。
窒素の代わりにヘリウムを混ぜた呼吸用ガスを使うことで減圧症のリスクを軽減。
「チャンバー」と呼ばれる圧力の加減可能な部屋を使用し、潜降、浮上することで、水深120Mからの浮上スピードをコントロールし減圧症になる可能性を極限まで下げます

ここでレギュレーターが発明された時の話を思い出してほしい。
水中の気圧が高い場所で陸上にある1気圧の空気は吸い込めなかったよね。
だから今回の調査でも「KAZUⅠ」が沈んでいる水深120M、つまり13気圧の場所に行って楽に呼吸するためには13気圧の呼吸用のガスを吸わなければならない。
13気圧の呼吸用ガスって、普段吸っている1気圧の空気の13倍高密度なのね。
13気圧で吸うのは呼吸ガスって言ってるけれど、空気じゃないの?


空気だと窒素酔いになってしまうから、飽和潜水では空気を吸えない。ヘリウムを混ぜたりして呼吸用のガス(気体)を作るんだよ。減圧症のリスクもあるし、他にもいろいろ窒素を取り除いた方がいい理由はあるんだけれどね
呼吸する空気でさえ、特注のガスが必要なんだね


だから水深120Mの現場にいるダイバーさんの体には普段の13倍高密度のガスが体に満タンにストックされていく、
つまり体が高圧のガスで飽和している状態になるので、飽和潜水と呼ばれているんだ
それは具体的にとーいうことを意味しているの??

ここからようやくその話しをしよう。
飽和潜水手順
作業台船「海進」には飽和潜水ダイバーが中に入れて室内を加圧できるチャンバーが設置されています。
それは「水中エレベーター」や「ベル」や「チャンバータンク」などといろいろ呼ばれています。
そしてそのチャンバーはエレベータ形式で水深120Mまで降ろせるようになっています。
報道によると、
- 2022/5/19、潜水士3人がチャンバーに入り、2時間かけて加圧していく
- 潜降開始後約40分で水深100Mに到着
- 16:30ごろ、潜水士2名が海中にて調査を開始
- 18:30ごろ、潜水終了予定、行方不明者の発見には至らなかった
- 水中での捜索終了後、チャンバーは母船にゆっくり確実に引き上げられる
- 20225/20、再びチャンバーを水深120Mまで下ろし、調査開始
- 午前中に4時間かけて、船内の捜索
- 2日間の捜索で行方不明者の新たな手掛かりは見つけられなかった
- 5/21からは船体を引き揚げる作業にとりかかるそうです(2022/5/20時の情報による)
- チャンバーは母船に戻ってきているのですが、潜水士はチャンバーの中から出られません
- 潜水士は捜索が終わるまで、13気圧にコントロールされたチャンバーの中で滞在しています
- そうやって捜査期間中、常時水深120Mの環境にいるかのごとく過ごせているので圧力の変化が起こらず、減圧症にならずに捜索ができるのです
- 任務完了後、チャンバーの圧を下げていきます
- 120M、13気圧から潜水士が安全に生還するためには、1M浮上するのに1時間かかるとのこと
- つまり13気圧から1気圧に戻すのに5日間かかるんです
- この手順を母船の上で行えることは水中で行うよりもはるかに安全ですが、機器や呼吸用ガスのトラブルチェックに予断を許さない5日間になります
13気圧の呼吸用ガスを体に満タン飽和させているダイバーは窒素の代わりにヘリウムを使っているとはいえ、
圧力の変化幅が大きすぎるので、1M浮上するのに1時間かけるほどゆっくりとしたスピードでチャンバー内の圧力を下げていきます。

その圧力のコントロールをする人も責任重大な仕事だね
いや、たぶんオート設定になってるはず。
私は病院にある再圧チャンバーしか知らないけれど、
それでさえ圧力の変化設定は自動設定になっていました


でも、捜索作業するときだけ水深120Mに降りればいいというのは、ちょっと安心だよね。
私は常時、ずっーーーーーと水深120Mに留まっているのかと思ってましたよ
たしかに。
チャンバーから出られないとしても、母船の上にいるのと、水深120Mにいるのとでは受けるストレスはかなり変わるはず


何事も起こらずに無事にもどってきてほしいですね
ちなみに2022/5/20の現場海域の海水温は9℃のようです。

水深120Mはもっと寒いはず………。
120Mでの水中生活とは
各種報道でもたくさんの映像が出ていますが、この赤いベルのようなチャンバーに大人が3人入って、5/19から10日間ぐらい過ごすわけです。
潜降日は調査しないのかと思っていましたが、現場に到着したらほぼすぐに水中調査を開始されていました。
この水深120Mでの調査に立ちはだかる障壁をリストアップしてみましょう。
- 低水温 ⇒ 保護スーツに温水を通すことで防御、呼吸ガスもその温水を利用して温めたものを活用
- 海流 ⇒ 現場海域は速い流れがあるそうです。海流は陸上の風と考えていただければ良いかと思います
- 自然光の暗さ ⇒ 太陽の光はほぼ届かないと思われます。暗闇です
- 濁り ⇒ 海底に泥が溜まっている場合は、作業をすればするほど視界がゼロに近くなります
- 保護スーツの重さ ⇒ 自衛隊の飽和潜水の装備を解説してくれている動画があります。興味のある方はご覧ください。

チャンバー内では、耳かき、ひげそりの禁止、飴を食べてはいけない理由なども教えてくれて非常に興味深いです
動画を見れない人に簡単に内容をリストアップすると、
- 全装備で60㎏ほど(ヘルメット20㎏+緊急用タンク30kg)
- 保護スーツの腕から40℃の温水が服内に流れるようになっている、それで呼吸用ガスも温められる。その温水の流量は腰元で調節可能など
- 携帯電話は持ち込めない

ふーん………、重そうだし、大変だね
おいおい、キミキミ、想像力が貧相にも過ぎるよ

想像してみてほしい
重量60㎏の装備をつけて、真っ暗の水中深度120Mに泳ぎだす怖さを。
呼吸用ガスはそのチャンバーからつながっているホースから送られてくるだけだ。
君の周囲に空気はない。
海があるだけ。
しかもその海には流れがある。
超大型台風の豪雨ど真ん中の時に重量60㎏の洋服を着て、出かけることを想像してくれ。
加えて暗闇で、視界は自分の照らすライトで見える範囲のみ。
そして、そんな状況で君の任務は行方不明者の捜索なのだ。
狭い船内に侵入すれば、チャンバーからのホースが絡まらないように考慮しなければならない。
苦しくて陸に戻りたくても、戻るには最短でも5日間かかる。
チャンバーの狭い空間に大人が3人の生活を続けなければならない。
こんなにストレスのかかる現場はそうそうないと思いませんか?
まとめ
- 飽和潜水は過酷な現場、低水温、重い保護服、ホースで限定された呼吸用ガスの供給、低視界
- 狭いスペースでの共同生活
- 任務完了後、浮上してもすぐにチャンバーを出られない ⇒ 今回の水深120Mの場合は5日間かかります
参考にしたブログです
元飽和潜水士さんのブログです
ダイビングイントラになる前に購入し勉強した愛読書です。
